コラボに兄弟愛が・うるしと日本画の競演(堂本印象美術館)

漆軒と印象明治生まれの堂本兄弟・うるしと日本画の競演2018/12/13(木)~2019/03/17(日)堂本印象美術館  12月12日内覧会が開かれた。 「堂本漆軒(しっけん)のことはあまり知らないという方は多い。堂本印象の2歳上の兄で漆芸家。」と三輪晃久館長。 「堂本漆軒の作品がまとまって展観されるのは今回が初めてのこと。」 「本展覧会が漆軒、初の回顧展となる。これを機にぜひ注目して頂きたい。」   次いで松尾学芸員より概要が紹介され、 「堂本印象は華やかで数々の賞を受賞した。印象が太陽とすれば、漆軒はいぶし銀の月のように美しい。」 「二人は仲の良い兄弟で、コラボ作品も多い。印象の図案をもとに、漆軒が蒔絵を創る。今回は3点が展示されている。」 「コラボ作品には、両者のそれぞれの特徴がよく顕れている。」   「もう一つの本展の見所は、豪華客船あるぜんちな丸に設(しつら)えられていた堂本漆軒の蒔絵飾扉(まきえかざりとびら=蒔絵の飾り棚、サイドボード)とその船の室内装飾。壁や床を往時のままに装飾し展示している。」  


戦時、豪華客船あるぜんちな丸は空母に改装された。その時、漆軒の蒔絵の飾り棚は取り外された。そして広島へ預けられる。船は終戦間際、機雷に遭いひどく損傷。危ういところだった。原爆の被害も免れた。現在は長崎に所蔵されている。 今回の展覧会では、堂本漆軒のいかにも職人気質ともいえる作品40点と、日本画をはじめガラス絵、七宝、タペストリーなどバラエティ豊かな印象の作品40点など85点が展示されている。  


「堂本漆軒の作品のクォリティは高い。が、残念なことにプロデューサーがいなかった。しかし、知名度は低いかも知れないが、京都を代表する漆芸家であることは間違いない。」   松尾学芸員は、 「堂本兄弟の初の兄弟展、ということで、個人的に面白いと思ったのは、江戸中期の尾形光琳、尾形乾山兄弟とよく似ていること。」 「その昔、尾形兄弟が御所の近くで暮らしていたのと同じように、堂本兄弟も御所、府庁の近くで暮らしていた。両兄弟ともそれぞれにとても仲が良かったという。」  


確かにどちらの兄弟も、一人が画家でもう一人が漆芸家だ。 同展でのコラボ展示、コラボ作品に、お二人の兄弟愛をじっくり味わうこともできそうだ。  


また、『現代作家展』が同時開催されるが、第9回(~1月27日)の作家となる鵜飼雅樹氏は、 「印象の画塾『東丘社』に所属する若手のリーダー。今回ユニークなことを考えておられる。どうか期待して頂きたい。」と三輪館長。   1回の入場料で両方観られるのはうれしい。 なお、1月29日からの『現代作家展』第10回は渡辺信喜氏の「中国の旅 素描」。


関連イベント情報 【野外イベント】となりの陶芸展 堂本印象美術館・立命館大学連携 2018年 12月13日(木)~24日(月・休)


【作品を語る】講師 鵜飼雅樹 2019年 1月13日(日)14時から


【講演会】「京都の近代漆芸―堂本漆軒とその時代」 2019年 1月27日(日)14時から 講師 比嘉明子(地方独立行政法人京都市産業技術研究所 研究副主幹)


【講演会】「継ぐ、ものがたり」 2019年2月21日(木)14時から 講師 河井菜摘(漆作家、修復家)


【ギャラリートーク】当館学芸員による作品解説 当館学芸員が展覧会の見どころをお話しします。 2018年 12月22日(土)、2019年 1月26日(土)、2月9日(土)3月9日(土) 時間 14:00から 場所 2階展示室(要入館券)


【作品を語る】講師 渡辺信喜 2019年 3月2日(土)14時から


  ☆ 堂本漆軒 =  漆工芸家、堂本漆軒は明治22年11月3日京都市で生れた。本名五三郎。富田香漆に師事し漆芸を学んだ。昭和3年第9帝展が初入選となり、そのご屡々入選をつづけ、昭和18年までに文帝展入選8回、戦後は日展に作品を発表し、26年以来出品依嘱、29年第10回日展審査員晩年は日展評議員をつとめていた。官展以外は京都市展、京都工芸展などにも出品し、京都工芸作家協会理事、全日本工芸美術家協会京都支部の要職をつとめるなど長老として京都漆芸界の発展に大いに尽力した。日本画家、堂本印象の実兄にあたる。(東京文化財研究所HPより)  


☆ 堂本印象 = 日本画家堂本印象(本名三之助)は、明治24年12月25日京都市に生れた。9人兄弟の三男であった印象は、苦学して画道に入り、大正10年京都市立絵画専門学校を卒業した。この間、西山翠嶂の塾にも学び在学中の大正8年第1回帝展に「深草」が初入選した。同じく第3回「調鞠図(ちょうきくず)」、「訶梨帝母(かりていも)」がともに特選になった。また大正14年には「華厳」で、帝国美術院賞を受けるなど、若い頃からすぐれた才能が認められた。その後、帝展、文展、日展等官展の審査員をしばしばつとめ、昭和25年には日本芸術院会員となった。同36年文化勲章、38年にはローマ法皇からサン・シルベストロ騎士勲章を、74年にはバチカンの近代美術館に「母と子」を納めて、サン・シルベストロ十字勲章を受章した。またこの間、昭和9年には画塾東丘社を創立して、これを主宰し、京都絵専教授をつとめるなど、多くの後進育成にもあたっている。なお、パリ、ニューヨーク、トリノ等で個展を開いている。昭和41年には、京都衣笠山の麓に「堂本美術館」を建設し自作を陳列、話題となった。作品は、極めて多作といえるが、それらを概観すると、初期における古典的題材による、文学性ゆたかな絵画は、戦後大きな変貌を示し、現実生活に取材した洋画的表現の濃いものとなり、さらに昭和33年ごろからは抽象的画面を展開するようになる。また絵画以外でも彫刻、ガラス工芸、染色、陶芸、金工などのほか、堂本美術館における建築までも手がける多才ぶりであった。このような多様な変貌ぶりは、一部に批判的眼もないわけではなかった。しかし、近代の日本画家としては、その旺盛な制作活動は卓抜で、瞠目すべきものがあった。  代表作に「木華開耶媛」(このはなさくやひめ)、「調鞠図」「華厳」「ガラス」「メトロ」などのほか、諸社寺壁画、襖絵、天井絵などの制作多数に上る。(東京文化財研究所HPより)  


☆ 三輪晃久(京都府立堂本印象美術館館長)= 1957年日展に初入選。1958年京都市立芸術大学日本画科を卒業。堂本印象に師事。日展特選2回(1967年、1979年)、入選22回。日春展日春賞2回、奨励賞3回。現在日展評議員。(公益財団法人 知足美術館HPより)  


☆ 尾形光琳(おがた こうりん)=万治元年(1658年) – 享保元年6月2日(1716年7月20日))は、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに与えた影響は大きい。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。(ウィキペディアより)  


☆ 尾形乾山(おがた けんざん)=  寛文3年(1663年) – 寛保3年6月2日(1743年7月22日)は、江戸時代の陶工、絵師。名は惟充。一般には窯名として用いた「乾山」の名で知られる。京都の呉服商、雁金屋の三男として生まれ、権平と名付けられる。6歳年上の兄は尾形光琳である。(ウィキペディアより)  


☆ 蒔絵(まきえ)= 漆で文様を描き,その上に細かな金銀粉などを固着させ磨いたものをいう。一般には金銀粉地や,色粉(いろこ)(顔料)を蒔き付けたもの,螺鈿(らでん)や切金(きりかね)を組み合わせたものなどもその範疇に入る。〈蒔絵〉の語は《竹取物語》にみえるのが最古といわれ,語源は《国家珍宝帳》に記載される〈末金鏤(まつきんる)作〉から末金絵になったとする説や,金銀粉を蒔き付ける技法からきたとする説がある。 【材料,用具,技法】:[蒔絵粉]蒔絵の主材料は蒔絵粉だが,これには金銀のほか,青金(あおきん)(金と銀の合金),白鑞,まれに銅粉,白金粉などが用いられる。(株式会社平凡社世界大百科事典 第2版より)

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