『堂本印象「ほとけを描く ほとけを愛でる」』(5/29-9/23) (堂本印象美術館)

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5月28日、堂本印象美術館 で内覧会が行われた。
「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」 。
記者発表会では下河邊(しもこうべ)英寿副館長の司会進行で
まず松尾敦子学芸員より本展のみどころが紹介された。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」
2019年 5月29日(水)~9月23日(月祝)
堂本印象美術館

宗教画家としても名を馳せていた昭和10年代、
堂本印象は大阪・四天王寺の五重宝塔内の仏画を手がけた。
1940年。49歳の時のこと。その頃の代表作ともなった。

「体が弱かったのに朝鮮半島まで赴き下調べをし、 また、
他の仕事をキャンセル、延期してまで四天王寺一本にかけた。」(松尾学芸員)
しかし5年後、戦争のため宝塔もろとも焼失してしまった。 心中いかばかりか。

が、幸い下絵は堂本印象により保存されていた。
この下絵は、これまで部分的には展覧されたことはあるが、
本展では一挙に紹介されることになった。
前期後期を通じて、十二天、八部衆、四方仏の下絵、計24点が展示される

また「維摩」「太子降臨」「法然上人一枚起請文」など、
堂本印象が描いた抽象、具象の仏画も展示される。
抽象仏画といえば昨秋、法然院の特別拝観で 堂本印象の襖絵を拝観し、
さすが印象といった迫力を感じたが、
本展での「無明」「善導大師」などでは悟りの世界も感じられる。
(どちらが先に描かれたものか知らないため、そこはご意訳のほどを。)

このほか堂本印象コレクションからは、
所蔵品が収蔵されていた箱のなかからこのほど再発見されたもののうち、
4点の仏像が展覧されている。

平安後期頃のものと思われる「天部立像」、「菩薩立像」、
そして鎌倉初期と思われる「阿弥陀如来坐像」。
この「阿弥陀如来坐像」、誰の作なのかはまだわかっていないが、
「運慶の次世代頃の作」とのこと。
そうなれば当然、湛慶も候補の一人となる。
もしこれが湛慶作なら、世間を揺るがすビッグニュース。
「可能性が無いとは言えない」 と
仏像解説をして頂いた京都市立芸大教授の礪波(となみ)恵昭氏。

仏衣のシワの「Y字型」や「玉眼」「寄木造」「髪の形」など、
1200年代初期(13世紀前半)の特徴はある。

運慶、 快慶、湛慶の生没年で判断すると、湛慶の可能性も高い。
南大門の仁王様の運慶とはえらくかけ離れた平和なお顔だが、
運慶も晩年頃にはそうした柔和なお顔も作っていたらしい。
さらに言えば、快慶はもっと早く平和顔の仏様を彫っていたと
先日のNHK特集で知った。運慶はその快慶のもとへ、
長男の湛慶を弟子入りさせたとも放映していた。
これはもう間違いない。
半ば妄想だが、もしそうであれば、
ここでその作品に出会えたことに感謝したい。


前期同時開催
「京都現代作家展11  河村源三 内なる造形ーこころを描くー」
2019年 5月29日(水)~7月28日(日)

後期同時開催
「京都現代作家展12  藤井智美 写生と本画」 
2019年 7月30日(火)~9月23日(月祝)



☆ 玉眼(ぎょくがん)= 木像の仏像の目を水晶で表す技法。・・


☆ 寄木造(よせぎづくり)= 仏像の体幹部分を、同等の役割を担う複数の材で構成する木造技法。・・(以上、堂本印象美術館の「堂本印象旧蔵仏像 作品解説」(礪波(となみ)恵昭京都市立芸大教授)より抜粋。)



☆ 運慶(うんけい)= 生年不詳 – 貞応2年12月11日(1224年1月3日)。平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。・・


☆ 快慶(かいけい)= 生没年不詳。鎌倉時代に活動した仏師。運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人である。・・この流派の仏師は多く名前に慶の字を用いるところから慶派と呼ばれる。快慶は安阿弥陀仏とも称し、その理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も多い。


☆ 湛慶(たんけい)= 承安3年(1173年) – 建長8年5月19日(1256年6月13日)。鎌倉時代の慶派仏師。運慶のもうけた男子、次男康運、三男康弁、四男康勝など皆、仏師になったが、なかでも嫡男の湛慶は、運慶、快慶とならぶ大家として知られる。・・京都・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の千手観音の巨像は、銘文から、湛慶最晩年の82歳の時に完成したことが知られる。三十三間堂の本尊の左右に林立する千体(正確には1,001体)千手観音立像中にも湛慶作の銘をもつものが数体ある。 (以上、ウィキペディアより要旨抜粋。)

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