「修復して伝える」『文化財よ、永遠に』 (9/6-10/14)(泉屋博古館)

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9月5日、内覧会が行われた。

文化財が果たす役割や使命は、測り知れない。
何百年も前の、貴重な作品が、今も観られるのは、
修理修復があってこそのもの。

文化財などの維持修復事業への助成につとめる住友財団は、
設立以来約30年の間に、文化財だけで累計1000件超の助成を行ってきた。


泉屋博古館 京都本館 秋季展
住友財団修復助成30年記念
「文化財よ、永遠に」
2019年9⽉6⽇(金) 〜10⽉14⽇(月・祝)
泉屋博古館


泉屋博古館で現在開催されている同展では、
古代から近世にいたる彫刻、絵画、文書など、
住友財団の修復でよみがえった古都ゆかりの名品が、
「修復の物語」と共に展覧されている。

例えば、国宝「明月記」(冷泉家時雨亭文庫蔵)。
鎌倉時代に書かれ、数百年後に江戸の大修理、
そのまた数百年後に
平成の大修理が行われた経緯などが紹介されている。
住友財団では全58巻、計700mほどに及ぶ修復を行っている。

国宝 明月記(巻47) 藤原定家 鎌倉時代・13世紀
【展示:9/6~9/23】
京都・冷泉家時雨亭文庫

ちなみに明月記は前期後期で展示場面が変わる。
後期【9/25~10/14】には、
あの有名な「彗星」が記述されている場面が観られる予定だ。

同展では文化財のほか、修理修復に関わる
古くから使われてきた道具なども展示されている。
じっくりと使い込んだそれらの道具からは、
職人たちの気概が伝わってくるようだ。

今は修復作業に、医療や建築現場で開発されたスキャナーなども使われる。
最先端技術により、これまで見えなかったものもわかってきた。
「大日如来像」3Dレーザー・スキャニング画像なども展観されている。

修復は、「美しく仕上げてしまうのではなく、いかに現状を維持するかです。
そのために、紙や布をわざと劣化させたりしなければならないのです」と教えて頂いた。
修復技術者を育てる機関「公益財団法人 美術院」の活動も紹介している。


猛虎図 伝 李公麟
朝鮮王朝時代・16世紀
京都・正伝寺

(展示作品を紹介したこのサイト内の「picture」ページはこちら→。)



☆ 『明月記』(めいげつき)= 鎌倉時代の公家である藤原定家の日記。治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたる克明な記録である。別名:『照光記』、『定家卿記』。(ウィキペディアより。)


☆ 『明月記』(めいげつき)= 冷泉家に伝来した藤原定家の日記『明月記』の原本で、日次記五六巻、一幅、本記の抄出記【しゅうしゅつき】と思われる建久九年十二月十日臨時祭記一巻、および年未詳断簡一巻からなる。
 『明月記』は、源平の争乱から承久の乱後に至る変動期の宮廷・公家社会の実相や武家の動静をはじめ、自らの文学活動や所感などを記した鎌倉時代前期研究の第一級史料である。その執筆年代は、治承年間(一一七七~八〇年)から八〇歳で薨じた仁治二年(一二四一)に及ぶと伝えられている。
 このうち冷泉家時雨亭文庫所蔵の日次記は、建久三年(一一九二)三月から天福元年(一二三三)十月に至る間を、途中断絶しながら凡そ二五年分を存している。各巻はほぼ三か月ごとの季別に成巻【せいかん】されている。新たに見出された掛幅【かけふく】は、正治二年十月廿七日条の断簡で、定家の正四位下の叙位に関わる記事である。
 本文料紙は楮紙打紙を用い、記事は日付に次いで書かれている。いずれも定家が自ら整理した清書本で、文中には、定家による加筆や墨抹消訂正などが少なくない。なかには、定家の指揮監督下に側近の者たちによって書写されたものも含まれている。
 紙背文書【しはいもんじょ】は計三四巻にあり、その通数は凡そ六百通である。昭和五十七年に重要文化財に指定され、同六十三年より一二か年をかけて修理が行われ、紙背文書が解読できるようになった。ほとんどが書状で、定家宛が多く、『明月記』本文を補完する重要な資料である。今回、修理完成とともに国宝に指定された。 (文化庁 国指定文化財等データベースより。)


☆ 泉屋博古館(せんおくはくこかん)= 住友家が蒐集した美術品を保存、展示する美術館です。
住友家の美術品で最も有名なものは、第15代当主住友春翠(しゅんすい)が明治中頃から大正期にかけて蒐集した中国古銅器と鏡鑑(きょうかん)です。これは中国以外では質量ともに最も充実したコレクションとして世界的にも高く評価されていますが、当館はこの貴重な青銅器と鏡鑑500点余りを保存公開するための財団法人として昭和35年に発足し、昭和45年には京都鹿ヶ谷の地に4室からなる青銅器と鏡鑑の展示室が完成しました。ちなみに、泉屋博古館の名称は、江戸時代の住友の屋号「泉屋」と九〇〇年前に中国で皇帝の命によって編纂された青銅器図録『博古図録』からとっています。(泉屋博古館HPより。)


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