日本初の抽象画襖絵も特別展示「驚異のクリエイションパワー」(11/30-3/29) (堂本印象美術館)

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↑ 豪華賞品が当たる「人気投票」も!


♪ 坊(ぼん)さんカンザシ買うを見た、ヨサコイヨサコイ ♪ (よさこい節)
ペギー葉山「南国土佐を後にして」の歌で有名な高知の はりまや橋 近くに、五台山・竹林寺はある。
そこに堂本印象が描いた襖絵(ふすまえ)が所蔵されている。日本初の抽象画による襖絵だとも言われている。
「瀬戸内海」(前期展示)、「太平洋」(後期)、「風神」(前期)、「雷神」(後期)。
今回、この襖絵が「特別出品」として前期後期に分けて展示される。


堂本印象
DOMOTO INSHO
「驚異のクリエイションパワー」

2019年11月30日(土)~2020年3月29日(日)
前期 2019年11月30日(土)~2020年2月2日(日)
後期 2020年2月4日(火)~2020年3月29日(日)

堂本印象美術館


11月29日に行われた開会式で、竹林寺の海老塚和秀住職がその経緯を説明した。
「父が「斬新な襖絵を」と印象先生にお願いしたのですが、出来上がったときには、『えっ、』って父も驚いたと思います。」(笑)
「とても気に入り、書院に飾られていました。私も子供の頃、書院に入り、「風神雷神」に驚き、「太平洋」「瀬戸内海」で心和ませていました。」 1963年(昭和38年)、時に印象72歳の頃のこと。
しかしその後1969年(昭和44年)、大型台風が高知を襲い、襖絵のあった書庫の屋根が吹っ飛んでしまった。 それでも 「母は、大事な襖絵をずぶ濡れにしちゃいけない、とあの大きな襖絵を全部、安全なところまでしまい込んだのですが、
雨に濡れ、あまりにしっかり握りしめたせいか襖に爪痕も残ってしまい、表に出せない状態になってしまいました」。
それがその後、平成15年頃、堂本美術館の学芸員の方が、襖絵の展示依頼のために来られた。
事情を説明すると、修復が可能ということで「ほっと胸をなで下ろしたことを思い出します」と海老塚住職は声を詰まらせる。
修復の後、平成17年ついに里帰り、堂本美術館での初のお披露目となった。
「そして今回(令和元年)、再び堂本印象美術館で展示されることになり、本当にありがたく思います。これからは、守護するだけでなく、これらの作品が、もっと広く知られるようにしたい」。

堂本印象「驚異のクリエイションパワー」展 では、
堂本印象の代表的な作品58件(前期後期)が、第一回帝展入賞作「深草」からほぼ時代順に展示されている。一つひとつの作品に堂本印象ならではの圧倒的な迫力がある。
これだけの印象作品が一堂に観られる機会は、画伯存命中はあったらしいが、現在ではめったにないこと。
三輪晃久館長は、
「昭和27年頃、印象はヨーロッパに行き、ピカソやブラック、キュービズムなどへの興味を深めていった。
「8時間」「生活」など、だんだんと堂本印象独自の抽象へと昇華させた。
昭和36年頃に「交響」、そして竹林寺の「風神雷神」などが描かれ、これらが自己の抽象画の完成型を示している」 と、堂本印象の創作活動の変遷を紹介した。
ちなみに、抽象画の「風神雷神」は、1961年トリノで開いた個展へ第一作を出品した後、ニューヨークで二作目、そして竹林寺と、計三回描かれている。

記者発表会に続き、山田由希代主任学芸員の説明で内覧会が行われた。↑

再来年(2021年)、堂本印象の生誕130年を迎える。
その前に開催されている今回の展覧会では、堂本印象作品の「人気投票」が行われている。
同館コレクションより選ばれた100点の堂本作品の画像リストから、好きな作品を3点選んで投票するというもの。
2021年開催予定の「生誕130年記念 堂本印象展」では、この投票結果が反映される予定。
投票結果は2020年4月頃に発表される。
なお投票すると全員に、印象の「落款シール」(特注)が1枚もらえるほか、
抽選で何かいろいろなものが当たる。
中には、三輪館長との「茶話会」といった、他所ではまづ見られない賞品もある。
またWチャンスとして、100組200人に「生誕130年記念 堂本印象展」のチケットが当たる。
なにはともあれ、とりあえず投票しておきましょう!


☆ 五台山・竹林寺(ちくりんじ)= 高知県高知市五台山にある真言宗智山派の寺院。山号は五台山(ごだいさん)。院号は金色院(こんじきいん)。本尊は文殊菩薩。切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。四国八十八箇所霊場第三十一番札所。当霊場のうち文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。


☆ 堂本 印象(どうもと いんしょう)=1891年12月25日 – 1975年9月5日。 京都市生れの日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。 1910年(明治43年)、京都市立美術工芸学校卒業後西陣織の図案描きの仕事をしていたが、 日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。 1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校修了。 1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。 帝展第3回展では「調鞠図」で特選、 第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど 第一級の日本画家として認められた。 1936年(昭和11年)京都市立絵画専門学校教授。 1944年(昭和19年)7月1日帝室技芸員。1950年(昭和25年)日本芸術院会員。 1961年(昭和36年)文化勲章、1962年(昭和37年)密教学芸賞受章。 1975年、心不全のため死去。
また、私塾東丘社の主催者として、画壇の指導者としても活躍した。 戦後、抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、 国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍。 1963年(昭和38年)には大阪カテドラル聖マリア大聖堂 に壁画『栄光の聖母マリア』を描いた功績により 当時のローマ教皇ヨハネス23世より聖シルベストロ文化第一勲章を受章した。 (以上、ウィキペディアより。)


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